九七艦上攻撃機に関するご報告(2021/8/10)


国・行政をはじめ、地元港湾業者の御尽力、御協力のもと、
数年に渡る御遺骨・機体引上げ作業が無事終わりました。
残念ながら、御遺骨・遺品等は発見できませんでしたが、未だ海の中に眠る三十数万人のご英霊に対し
海没遺骨収集の事業が行われる事に一石を投じることが出来ました。
6月30日、機体は大分県宇佐市『旧海軍航空基地』に無事里帰りし関係各位の手厚い慰霊祭がとり行われました。
共感頂いた西之表市民の皆様、マスコミ各社のご理解ある報道に深く感謝します。ありがとうございました。

                                                  林 哲郎


 


【ご報告】沈没機プロジェクト修了(2016/9/3)


5月から始まったプロジェクト、機種断定できました。
水中写真、散在している部品、特徴的な残存部分の計測などから、
九七艦上攻撃機でした。



どの航空母艦所属かは、これから陸上調査します。
97式は第二次世界対戦開戦の時真珠湾攻撃で機体腹部に魚雷を装着して活躍しました。
開戦前鹿児島錦江湾がハワイ真珠湾に地形が似ていることから、艦上から飛び立ち訓練を繰り返したそうです。
その訓練中に何らかの原因で墜落したのではと推測されます。
今回のプロジェクトに参加協力していただいたダイバーの方達に深く感謝いたします。
特に機種を特定でき事には貴重な資料や写真を提供いただいた航空整備士酒井義雄氏の御尽力によるものです。ありがとうございました。

〈特別顧問〉
上田愛生(元海上自衛隊、海将補)






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